金沢工業大学「人間と哲学」前期授業最終日(その1)

グループになり対話の時間が始まる。
あちこちから、堰を切ったように学生が語り出す。

「私は、、、」「あるいは、」「どっちも」「消去法で考えると」「納得いくかどうか」「運命ってどういう意味として使ってるんだろう」

授業が始まった4月は、戸惑った対話だったのが最初から勢いがある。
一人一人がハッキリと意見を述べているので、教室の隅にいても語尾まで意見が聞こえるぐらいだ。

 

「春香さんは、、、明子さんの考えは」「僕は、」
主語がハッキリしている。
「結局、僕には運命というのは、〜のように感じる」

4月頃は、テレ隠しなのか、机のプリントを見るように下を向いて話していた学生がおおかったのが、相手の顔をまっすぐ見ながらうなづき議論している。

机に向かう姿勢が全く違ってきている。
相手の対話を、興味深く聴く姿勢だ。
時々、笑いも起きている。

 

「やっぱり、運命だとしたらどんだけ頑張っても・・」
「俺、最近思うんだけど高校の頃、頑張ってたかなーって」
「俺は。運命も幾つかはあると思うけど、ちょっと違うと思う」
「あー、なるほど。それって何なんだろう」

 

話が、自分の一方的意見を伝えていた4月から比べると、格段にコミュニケーションの質も量も変化している。
相手の意見を聞き、受け止めて自分の気づきを伝える。伝えつつも自分の中で内省して、グループの話が動いて深みを増していく。

 

8分のグループの対話の時間がタイムアップ

先生から「いろいろ話したいだろうけど・・・」の言葉は、教室の中では、対話の声でかき消されている。

話すことが苦手な学生群の場合は、8分間のグループ対話が苦行だそうだ。リーダーはタイマーをチラチラ見て、場を持たせられないことに苦心し、メンバーも机を向くように下を向き、停滞する。

4月からの授業での人間関係の構築と、対話のベースになる場づくり、哲学的問いが、学生のコミュニケーション能力を飛躍的に向上さえる。

 

<企業での会議の閉塞感への打開策としての学生>

企業での会議ファシリテーション場では、人間関係が感情レベルで議論されると、こうはいかない。

目的やゴールを共有している会議であっても、互いの意見を最後まで聴き、認め、違いを歓迎する場をグループの中でつくりだし、その対話を学生時代に経験することは、未来の大きな可能性を切り開く人材として大きな宝だと思う。

企業研修では、感情レベルの会話、否定的な会話、同調、圧力、集団での愚考をどのように、突き崩すのかファシリテーターの力量が試される。

学生と企業人との対話は、企業内での閉塞的な知恵の集合の場を活性化できるのではないかと思う。
それは、学生にとっても社会での一片を見ることが出来るし、企業にとってもお互いに創造性を発揮できるのではないかと思う。